気について(楽水の見解)

   益軒先生は絶えず『気』について、気を損じてはならぬと説いておられます。『気』とはなんぞやと問う向きもあるし、気なんて第一あるのか?とその存在を疑問視する声もあります。


    つまり、現代医療の根幹を成している解剖に基づく生理学の対象となりにくい分野の問題である。しかも、人間の精神的活動の根幹ともなる世界ではないかと私は考える。


    私は若い頃は『気』なんてものを殆ど省みなかったし、殆ど関心が無かったと言ってよい。だが、最近は『気』は健康保持に極めて大切な要因だと思うようになった。私は『気』とは、『元気』『ヤル気』などの意味する『気』で一応十分ではないかと思う。(人によっては、『気』の定義づけは様々でるが、いまはそのことに論究しない。)


    そして、この『気』は無質量で所在は臍下丹田にあると私は考えている。人の生命維持に極めて大切なこの『気』を充実させてこそ、精神活動が活発になり、体力が充実するモノと考えている。


    気を養うモノ、それは人にとっては、物質的不足状態、飢餓状態が一般に『気』が増え、充足状態では衰えるように思う。(現代的表現を借りれば、ハングリー精神だが、適切な表現であろう)飲食は満ち足りると眠くなり、気が衰える。午睡も10分程度でもう少し眠りたいと思うところで起きると頭がスッキリとするが、十分に寝ると却って午睡後はダレた気分になるようなものである。


    そこで益軒先生は『色欲をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。久しく眠ることを戒め、久しく安坐せず、時々身を動かして気をめぐらすべし。ことに食後は数百歩、歩行すべし。もし、久しく安坐し、又食後に穏座し昼寝(ひるいね)などするは滞りて病を生ず』といっておられるのであろう。