生後28.998 日、現に在るを感謝

平成17年9月27日(火曜)晴 27度、7時起床、朝夕は涼しい。マッサージを行なって起床。排便注意。今日はイキイキは?。水泳はしたい。青汁による舌苔おさまる。聴診音小、胃部1、右腹1、臍下1、左腹1、マッサージ後の屁は出た。今日はHPの手入れをしよう。展覧会?。


妙念寺に手紙を書く

妙念寺  藤本  誠   様

 またまた、ご懇切なご指導を感謝して
おります。

 なかんずく『救いを求める人間』はちゃんと、
貴HPに掲載されておりますのに、そこを読んでいない
私には、懇切なご指導、改めて厚く御礼を申し上げます。

 ただ、私は生意気な様ですが、神仏に何かを求める
ような気持ちは殆どないと言ってよいのです。
 本当に困ったことがないせいでもありましょうが
世間的一般的常識の言葉としての
『救いを求める人間』でもありたくないのです。

 出来たら、何事も受け容れられる『自分』で
ありたいと思っているのです。この世の中
『偶然は無いのだ。すべて必然。』と思える
『自分になりたい。』のです。

 今日TVで小山明子さん(主人は大島 渚氏)の
鬱病のことを話しておられました。あんな賢い人でも
主人の看病で疲れると、鬱病になるんだな・・・と
思って見ておりました。

 落語家で桂なんとかいう人も鬱病かで自殺され
ましたね・・・。人は疲れてくると自分がどうなるか?
どう変わるか分かりませんもの。

 私は、理屈は分からなくて良いのです。お経を
知らなくても良いのです。ただ、”あらゆることは
天の計らい、言えば『天道と言うか、まことの道』を淡々と受け容れられる
自分、そして『誠の道に基づいてすべての事象を誠にすることに
勤める自分』でありたいと思うのです。”

 二宮尊徳の言うところの『まことの道』と言う
ものが良いなと思うのです。
 彼によると、『それ誠の道は、学ばずしておのづから知り、
習わずしておのづから覚え、書籍もなく、記録もなく、
師匠もなく、而して人々の自得して忘れず。これぞ誠の
道の本体なる。(以下略)よくよく眼を開きて、天地の経文を
拝見し、これを誠にするの道を尋ぬべきなり。』
(二宮翁夜話第一 まことの道は天地の経文を読みて知るべし)より

二宮尊徳のように篤学で、しかも感性の優れた人は
学ばずして天地の経文が読めるのでしょうが、
私たち凡夫は、手を引いてくださる方がないと
五里霧中と言うことで迷ってしまうでしょう。

 今夜はこれで失礼致します。

清水



妙念寺 藤本 誠師よりの返信

清水 毅 様

 メール ありがとうございます。

 返事 遅くなり 申し訳ありません。

誠の道に基づいてすべての事象を誠にすることに

勤める自分』でありたいと思うのです。

  誠に ありがたい ことだと 存じます。

 ありがとうございました。

                妙念寺”