禍福はあざなえる縄の如し

平成16年11月12日(金)曇り後晴
 10時頃から、清子さんの家の塀を取り壊した。加藤さんがやってくれた。午前中で作業は終了。明石の焼却場に2回運ぶ。\1490,\1400円

 作業で、木が腕に当たったのか、腕の一部に内出血。作業が終わった段階で加藤さんに昼を食べて頂こうと思ったが、清子さんは準備をしていなかった。

 午後イキイキに風呂でいく。



[コメントを書く]
#
ja3sj
『 結婚の問題は、私にはどう言ってよいか?分からない。一種のクジ運みたいなもので・・・。
 仕事のことだけど、まあこのことも良くは分からない。一家の経済を支えねばならぬ男性(女性でも同じ)は、好きやら嫌いやら言っていることすら出来なかった。嫌な上司もいつかはおらなくなるやろうとか、自分が上になったら、こんなことだけはすまいと言うことを、この上司は教えているんだ、とか、まあ自分も百点満点ではないし・・・と妥協しながら、生きてきたように思う。
 勤めが楽しくない分、そのエネルギーを語学に向けたり、無線に向けたりしたと言えないこともない自分だったようにも思います。
 『気に入らないから辞めちゃう。』と言えるほど勇気も無かったし、才覚も無かった自分です。
 『男の男たる所以は、家族を養っていくこと。』と思いこんでいた自分。
いまになってみたら、もっと自分を主張して生きても良かったのかな?と思わないでもないが・・・。まあ、こんなもんでしょう。自分はそんなに才能がある男でもないし、特徴がある男でもない。
 ただいまは、自分をうんでくれた父母に感謝しているし、気づくのが遅かった分親にも心配やら不愉快な思いをさせただろうと思うと、すまなかったと思います。
私は色盲だから、兵隊さんの学校を受験して、落ちました。親を恨んだ、恨んで恨み通しの若い日々だったかな・・・。だがそれ故に今日まで生き延びることができたの。同じ時、兵隊に行った30数名は皆、戦死しています。
『禍福はあざなえる縄の如し』を地で行ったわけ。お父さん、お母さん、よう私を色弱に生んでくれたね・・・・。助かったよ。
 経済が豊かでもなかった我が家。上級学校にはヤラヌ!と言う父に、旺文社の学校案内を見せ、ここは在学中から金をくれる、ここに行かせてくれ!
『そぎゃんならヨカタイ。』・・・。で東京高等師範学校に行くことになったわけ。卒業と同時にエエも悪いもない。文部省辞令で○○学校勤務。
とまあ、こんな人生を歩いてきた人間には、就職試験の経験もないし、もらった女房殿には、最初から『俺の月給はこれだけしかない。万事よろしく』と最敬礼。
何も言わず、切り盛りした女房殿に、頭があがるはずがない。
 まあ、きれいに言えば、感謝や。
 浮気心も無かったわけではないが、そんなチャンスがなかっただけか?呵々
泡沫の如き人生、されどわが人生。その中で、精一杯の自己主張をするもよし、そっと草葉の陰の雑草のように、なもなくおのが人生を終わるもよし。
 最近の好きな言葉は、『壺中の天』ということ。       楽水』