今日の言葉

我有三寶、持而保之。(我れに三寶あり、持して之を保つ。) P334b 老子674章

三寶とは、一.慈悲の心、二.倹約、三.敢えて天下の先とならず。と言う。 >>>>>>>> >>>

我有三寶、持而保之。(我れに三寶あり、持して之を保つ。) P334b 老子674章

三寶とは、一.慈悲の心、二.倹約、三.敢えて天下の先とならず。と言う。 >>>>>>>> >>>

知者不言、言者不知。(知る者は言わず、言う者は知らず。)P331b 老子56章

あえて説明の必要もあるまいと思う。 >>>>>>>> >>>

挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。(其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和げ、其の塵に同ず。   P331c 老子56章

この文の前半の意味は分かるが、最後の『その塵に同ず』とはどういう事であろうか?インドのガンジーは生前、自分が今度生まれ変わってくるようなことがあれば、自分は最下層の賤民の中に生まれ、彼等と共に苦楽を共にしたいという言葉があるのだが、そう言…

報怨以徳。(怨みに報いるに徳を以てす。) P333b 老子63章

怨みに対しては徳をもって報いるがよいの意。そこまでは行かなくても、人を恨んではいけない。自分が苦しいだけで健康にも悪い。忘れなければならない。 >>>>>>>> >>>

挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。(其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和げ、其の塵に同ず。   P331c 老子56章

これは凄い言葉だと思う。特に最後の言葉『其の塵に同ず』を如何様に理解するかが大問題ではあり、その人物の許容量とでも言うべきであろう。 >>>>>>>> >>>

大者宜為下。(大なる者は宜しく下ることをなすべし。) P333b 老子61章

強大なるものほど、いちばん下に下るという考え方が大切だ。川の流れのように下っていればこそ大きいのである。人が傲慢になる事への戒めと理解したい。自分は強大でも勿論ない、弱小ではないか!弱小であればその生を受けているいるだけで感謝の気持ちを忘…

善摂生者、陸行不遇除ケ虎(じこ)。善く生を摂する者は、陸行に除ケ虎(じこ)に遇わず。P330  老子50章

最も良い摂生家、すなわち身を守るに巧みな人間は、山の中に出かけても、野牛(除ケ)などの猛獣に出会う心配がない。万物に対して敵意を持たないからである。こちらが敵意を持たなければ、何物も敵対するものではない。この態度が最もよく自分の身を守るゆ…

善建者不抜、。善抱者不脱。(善く建つる者は抜けず、。善く抱く者は脱せず。)P331b 老子54章

杭はしっかり打ち立てておけば、容易に抜けるものではない。また、一度打ち立てた杭は、それをしっかりと抱いていれば、抜き去ることは困難である。創業とその守成はこのように考えて遂行するがよい。 >>>>>>>> >>>

 挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。(其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和げ、其の塵に同ず。   P331c 老子56章

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 不可得而貴。不可得而賤。(得て貴くすべからず。得て賤しくすべからず。) P331c 老子56章

権力によって与えられたモノは権力によって奪われる。しかし、完全に出来上がった人になると、外部の力でその人を貴くすることも、賤しくすることも出来ない。官位や爵位などは人から授けられるモノであり、また、人から奪われるモノである。 >>>>>>>> >>>

 天下多忌諱、而民弥々貧。(天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し。) P332a 老子332章

忌諱{ きき}、人の振る舞いを規制する禁令は、元来は民を善導するためのものであるが、それが細かく多くなりすぎると、その結果は反対に民を貧困に陥れる。いまはやりの『規制緩和』が必要な所以であろうか? >>>>>>>> >>>

 治大国、若煮小鮮。(大国を治むるは、煮小鮮を煮るがごとし。) P333a 老子60章

大きな国を治めるやり方は、例えば小さい魚を煮るようなもので、やたらに手出しをせず、煮えるに任せておけばよい。 このことの真の意味は難しいところだ。大国だと思っている中に無策のままで没落したと言う史実もイヤと言うほど多いのも事実だ。 >>>>>>>>…

 報怨以徳。(怨みに報いるに徳を以てす。) P333b 老子63章

怨みに対しては徳をもって報いるがよい。凡夫には至難の教えではある。 >>>>>>>> >>>

 報怨以徳。(怨みに報いるに徳を以てす。) P333b 老子63章

怨みに対しては徳をもって報いるがよい。凡夫には至難の教えではある。 >>>>>>>> >>>

 聖人、終不為大。故能成其大。(聖人は、終に大を為さず。故に能く其の大を為す。)P333c老子63章

世界の四聖は、揃いも揃って誰も書というモノを書かなかった。偉い人は本を書こうが書かなくても本当に偉い人の思想は伝承されると言うことである。 >>>>>>>> >>>

 図難於其易。(難きを其の易きに図る。)P333c老子64章 

”悪い芽は、取り除くことが容易な早い時期に摘むがよい。”の意味で今更説明の要もあるまいが、この分かり切った自明の理が日常生活に活かすのは相応の決心がいる。 >>>>>>>> >>>

 千里之行、始於足下。(千里の行も、足下に始まる。)

物事はすべて、手近なところから処理しなければならない。と言う意味であろうが、私の好きな言葉でもある。 小堀杏奴がその著『父を語る』(森鴎外のこと)の中で父はよく、”何でもないことを淡々と出来ねばならないよ”と言っていたそうである。私には重み…

 軽諾必寡信。(軽諾は必ず信寡「すく」なし。) P334a 老子64章

軽々しく人に承諾を与えることは、結局信義を欠くことになりがちである。用心しないといけない。 >>>>>>>> >>>

善用人者為之下。(善く人を用いる者は、之が下となる。) P334b 老子68章

このことの真意を理解し実践することは至難の業である。 >>>>>>>> >>>

我有三寶、持而保之。(我れに三寶あり、持して之を保つ。) P334b 老子674章

三寶とは、一.慈悲の心、二.倹約、三.敢えて天下の先とならず。と言う。 『三.敢えて天下の先とならず』とは、先走りをしないと言うことであろう。このあたりが老子の基本思想でもあろう。 >>>>>>>> >>>

物無非彼、物無非是。(物、彼に非ざるはなく、物、是に非ざるはなし。)P342 (荘子 内篇 斉物論)()

どんなものでも、見方によってすべて、ああでもありこうでもあるものである。 是非善悪の議論はあっても、立場を変えてみれば、是は非であり、非は是である。 この言葉は、私には大変な哲学に受け取れる。まさに荘子が言う通りなのだが、問題は人はどこまで…

 知不知、上。不知知、病。(知りて知らずとするは上なり。知らずして知れるとするは 病「ヘイ」なり。P335b 老子71章

 知不知、上。不知知、病。(知りて知らずとするは上なり。知らずして知れるとするは 病「ヘイ」なり。P335b 老子71章

知我者希、則我貴矣。(我を知るもの希なれば、則ち我れ貴し。)P335b 老子70章

自分の名前があまり人に知れ渡らない方が良いという意味で、マスコミに登場して得意がるようではダメと言うことか?

 大道甚夷。而民好径。(大道は甚だ夷(たいらか)なり。而るに民は径(こみち)を好む。) P331C- (老子 53 章)小径は一時は楽しみもあるが、必ず行き詰まる。

論語には「行くに小径に由らず」とある。

 善養生者若牧羊然。視其後者而鞭之。-P366C - (荘子 外篇 達生)

善く生を養う者は、羊を牧(やしな)うが若く然り。其の遅るる者を視て、之を鞭つ。−- 養生の道は、ちょうど羊を飼うときのように、自分の中の遅れた部分、足らざる点をよく知り、それを補うことだ。 人はそれぞれに長所と短所を有している。養生も短所を補…

良包歳更刀、聞包丁之言、得養生○。(良包は歳に刀を更{か}う、包丁之言を聞きて、養生を得たり。)荘子 内編 養生主 P344

”良い料理人と言われている者でも、年1回は包丁を取り替える。下手な者はなおさらで月1回。ただ私は包丁を用いるのに無理をしないから、19年使ってもなお新しい。” ”料理人の言うことを聞いて、養生の道を悟った。つまり、無理をしないことだ。”包丁も…

良包歳更刀、聞包丁之言、得養生○。(良包は歳に刀を更{か}う、包丁之言を聞きて、養生を得たり。)荘子 内編 養生主 P344

”良い料理人と言われている者でも、年1回は包丁を取り替える。下手な者はなおさらで月1回。ただ私は包丁を用いるのに無理をしないから、19年使ってもなお新しい。” ”料理人の言うことを聞いて、養生の道を悟った。つまり、無理をしないことだ。”包丁も…

善摂生者、陸行不遇除ケ虎(じこ)。善く生を摂する者は、陸行に除ケ虎(じこ)に遇わず。P330  老子50章

最も良い摂生家、すなわち身を守るに巧みな人間は、山の中に出かけても、野牛(除ケ)などの猛獣に出会う心配がない。万物に対して敵意を持たないからである。こちらが敵意を持たなければ、何物も敵対するものではない。この態度が最もよく自分の身を守るゆえ…