正子への返事は以下の通りです。

   正子、お父さんは昨日昼前に加古川に麹を買いに行ったよ。ワシ一人で行くつもりだったが、鶴木さんの家に寄る用があるということで、お母さんも同乗した。



   車中で、お母さんに、”インターネットのブロッグにコレコレシカジカ、正子がこんなこと書いているがな・・・。ガッカリしたなんて言っているが、どうしてかな?それにしても激しいナ・・・”とワシが言ったのです。



   お母さんは、すかさず、『お父さん、正子はキッと思い返しておりますよ。あの子は思ったことの黒白をハッキリ言わないと気が済まないこと、そうしたことが自分の欠点だということをよく知っているから、いずれなおそうと思っているんですよ。』



   『そんな点、お父さんとよく似ているんですね・・・・』、ワシに似ていると言われてもワシも困る。『そうか?それにしても極端やな・・・・、揺れが大きくてついて行けんガナ・・・・』とこの話は終了。



   今朝、貴女のコメントを見て驚きました。お母さんの言うとおりだったからネ・・・。お母さんはやっぱり偉いよ。ワシは脱帽だよ。



   ---- *** 話変わって *** ------



   今朝は ss_sayoko さんがコメントをくれたので、ワシは返事を書いた。”親のエゴ”なんて言う言葉もあるが、親の身勝手な子供観というところであろうか?



   ワシが思うのに、身勝手もあるだろうが、ワシがいつも言うように自分にないところの情感、行動様式、平たく言えば、”気持ちや状況、情勢”の判断、思いやり、思考は極めて困難で、このことは多分、多くの人に共通に持っている弱点であろう。



   几帳面にしないと気が済まない人は、机上を乱雑して放置している人の気持ちは察しにくい。反対も同様ってなことです。



   記憶力の良い人は、なかなか覚えられない人の気持ちを察するのは難しい。早く走られる人はモタモタしか走られぬ人はオカシイ。どうして走られないのや!



   『そんなところお父さんに似ている』と、正直これは本当だろう。ワシは初心者指導が極めて苦手、パソコン、スキー、水泳、なんでも出来ない人を端で見ていると、こちらがイライラするんだね。気の毒にどうしたら出来るようになるか、やさしく手を取るところがない。



   指導者としては、もう少し出来ない身になって優しく教えてやると言うことが、指導者としての資質の第一であろうと私は思う。



   指導は懇切丁寧という言葉がある。なにはともあれ、指導者はこの心を持たねばならないと、もっと、もっと早く気づかねばならなかっただろうし、私はそのことだけに専念して教育に当たれば、もう少しマシな指導が出来たかも知れません。



   徒弟制度時代(戦前までの技術指導)は、”技は教えるモノではなくて盗め”なんて言って、技術を懇切丁寧に教えると言うことは殆ど行われなかった。先輩の技術をそっと見て学べと言うわけだ。



   ”覚える気のないモノに百返同じことを繰り返しても何も残らない。”これも一面の真理ではあろう。



   だが、人の教育、我が子の教育を含めて、無駄とも思える努力を繰り返し、噛んで含めるように言う忍耐と努力が指導者には求められている。


   ”子供の自主性を重んずる”と言う言葉にかくれて、親が子供の教育に手を抜くことがあってはいけないとワシは思っているのや。



   ”ゆとりのある教育”を口にして子供の学習に手を抜いてはならないのだが、教育なんてことは至難の業なんですよ。



   ワシはワシ自身はネバリ強いと思っております。思い立ったら滅多に中途で止めませんよ。そこもワシに似て欲しいと思っておりますよ。



   ワシに似よ ワシに似るなと親心   父より