養生の術は学ばなければ得られぬ。人の身のわざ多し。その事をうとむる道を術という。万の技つとめ習うべき術あり。その術を知らざれば、その事をなし難し。

 健康法も一つの技術だと言うところが面白い。この場合の技術とは知識と実践をさすのであろう。健康法は簡単なことを実践することが大切だと思う。たとえば運動法にしても、健康の保持増進にはいろいろな運動がある。ヨガ、太極拳、TVによる体操、ラジオ体操、エアロビックス、などなど数え上げたらそれこそキリなくあまたあるに違いない。それらに熟達しなければ健康になれないなどということはないはずだ。

   健康法と言うモノに、私は思うのだが、あることについて一つの説があると大抵は全く逆な説があって、どういう訳か健康法を説く方々は滅多なことでは妥協はしない。甲論乙駁なかなか激しいのが一般的だ。



   たとえば、生の野菜、生の食物が健康に良いという説があると、桜沢如一氏が唱える正食会では食物は良く煮たモノが良いと言って譲らない。食後は休養が良いという説があると、食後は歩く方が消化のためによいとする説などなど枚挙に暇がない。



   午睡、食物多品種摂取か少数で良しとする説、玄米党と白米党等々全く相反する説に初心者は迷ってしまう。



   私は全く無責任みたいだが、それはどちらも正しく、実践者の体質との相性の問題では無いかと思っている。どちらが自分の体質に合うかは各人が実践して確かめる外無いと思われる。



   ちなみに、私は玄米菜食、小魚を用いる程度、お酒は殆ど用いず生の野菜を取るように心がけている。果物は少量だし午睡は殆どしない。運動は比較的よくると言えるであろう。今後も自分の体と相談しながら、よりよい健康保持に努めたいと思っている。固定的ではなく可成り流動的だと自分では思っている。



   なおまた、人の健康は食物ばかりではなくて、心のあり方に大きく左右されているものと思っている。