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気を費やす(こと)のみ吝嗇であれ。
気を養うに嗇(しょく)の字を用ゆべし。老子此の意を言えり。嗇は惜しむなり。元気を惜しみて費やさざる也。例えば、吝嗇なるひとの、財多く余りあれども、おしみて人に与えざるが如くなるべし。気を惜しめば元気減らずして長命なり。
[楽水の註]
健康保持の術は若いときから考えて行へと言うのが益軒先生の教えであり、これもその一環であろう。
若いときは、元気に任せて、体を酷使して健康を損なう人は多い。損なって初めて健康の有り難さを知るが、まあ人とはそんなものなのだ。世の中全てのこと同じで、頭を打ち、辛い思いをしてやっと気づくとはなんと愚かであろう。勿論私も例外ではないが、辛い目に会うまでは人の言葉なんて入っては来ない物なのである。愚かという外はない。