生後28.995 日、現に在るを感謝

平成17年9月24日(土曜)晴 29度、7時起床、マッサージをやって起床した。昨日の排便は1回、中量。スムーズ。9時半に善定に出発、最後の栗拾いをした。イキイキは休む。水泳なし。聴診音小、胃部1、右腹1、臍下1、左腹1、マッサージ後の屁は出た。ケール播種後19日、双葉が大きくなってきた。ネキリ虫が葉茎を切る。和田さんにメイル。たい子さんに電話をした。よしみさん毎日新聞にのる。


妙念寺に手紙を書く
佐賀妙念寺 
 藤本 誠  様

 先のメイルで

 『読経後に妙念寺・月々のことば(147)について
ご講釈を頂きました。
 ロウソク、塩、シャボンはともに自分の身を
すり減らして、他者のためになっていると言う
大要かと思います。』・・・滅私奉公云々

 と書いたのですが、ご住職様の真意と
違った受け取り方をしたのかは分かりませんが、
これはこれでも良いか?と私は考えております。

 滅私と申しましたが、では三浦綾子著の
塩狩峠だったか『信夫』という人の行為、また
例のタイタニック号だったか沈んでいく船からの
救命ボートに婦人をのせて自分は海底の藻屑と
消えた牧師さん。日本でも先年あった
韓国の人がレール上に転落した日本人を救ったが、
自分は列車に轢かれて死んだ出来事。

 こうした自分を犠牲にして他を救う行為は
まさに『月々のことば(147)』
のロウソクの話だと思います。

 平時にあって、自分の命を犠牲にして
他を救えと言うのは、あまり一般的な話では
ないでしょう。ですが、自分としては、出来たら
咄嗟の行動はそうした行動のとれる自分でありたい
なという願望は持っておりますが、そんな場面に
遭遇したことがありませんので、自分はどんな
行動をとるのか?ということは考えただけで
ちょっと恐ろしいと言う気持ちです。

 生死については、『葉隠れ』は実に明快ですね。
人は生き延びる口実はなんともいとも簡単に
見つけ得る。死を選びなさいと教えていますが、
私たちは同時に『生命への執着』の思想も死以上に
大切にしたい面はあるように思います。

 本題に帰りまして、報恩ということですが、
私はなおかつ不十分ではあろうかと思うのですが、
自分が生を受けた事への父母への感謝、先祖への
感謝を忘れないようにしたいと平生思っております。
まあ、そのことでは毎日有り難うございます。
と感謝です。

 そしていままでそんな事にも気がつかなかった
私は申し訳ありません。すみませんと謝りたい気持ち
です。毎日が簡単に『ありがとう、すみません』です。

 また、私たちは一日たりとも、食なしでは
生きてゆけません。食は、それを提供してくれている
動物は勿論、一枚の葉っぱ、一本の根っこにも
生命あるモノからの恩恵で、動植物の犠牲の上に
私たちの生命が維持されておることは論を待ちません。

 これに感謝しないと言うは人間の傲慢も
良いところでありましょう。甲田は『だから
人は少食にして動植物の犠牲を最少にするように
努めなければならない。』としております。

 また、二宮尊徳はこの間の事情をいみじくも、
人は落ち葉を食っては生きて行けないと申して
おります。

報恩と言いますが、私は恩に感謝はしておりますが
未だに何一つ報いてはおりません。

 何か人の役に立つことをすることが報恩かと
考えて居るところです。実践は、不言実行
言う言葉の方がどうも良いようで、有言実行は
私にはどうも向かないようでして・・・。

 以下次号で述べてみたいと思います。
今後ともお気づきの件、よろしくご指導を
お願い申し上げます。

清水