佐賀市浄土真宗本願寺派妙念寺

について

私は、墓参で去る9月20日佐賀に帰りました。
墓は、佐賀市久保泉町大字上泉字徳永5号1968番3
山林241平方メートルの一角にあります。

 町村合併で佐賀市と言う名称ではありますが、
昔は、佐賀郡久保泉村と言った片田舎、佐賀市の北方で
もう山裾の地域になります。

 そこのとある一角に母方から受け継いだ先祖伝来の墓地が
あり、佐賀駅からタクシーでそこに詣でました。

墓参を終えて、旧佐賀市内の町中にある姉の家で、昼食を
取りかねて連絡してあった、佐賀駅から程遠からぬ所にある、
浄土真宗本願寺派妙念寺を訪ねました。

妙念寺は、『葉隠』にも出てくる名刹で、(岩波文庫葉隠、 
中巻 聞書第五 53項、および77項 小倉の局の戒名が妙念
に由来か?)そこのご住職の藤本 誠氏にご縁を頂き、同寺を
訪問する機会に恵まれました。

 因みに、妙念寺はホームページを開いておられますので
ご関心のある方は、下記のアドレスをクリックしてみて
下さい。ホームページをご覧頂けるかと思います。

http://www2.saganet.ne.jp/namo/

 さて、初対面の挨拶が終わり、ご住職様のご厚意に
より、正信念仏偈を読経して頂き、妻も私もあとに続いて
唱和しました。

読経後に妙念寺・月々のことば(147)について
ご講釈を頂きました。
 ロウソク、塩、シャボンはともに自分の身を
すり減らして、他者のためになっていると言う
大要かと思います。

 古い言葉に『滅私奉公』と言う言葉がありました。
確かに、私たちの年代の多くの男性は
日本のためなら、死を賭して自分の職務を全う
する覚悟が出来ていたと思います。

 ですが敗戦、それに続いて民主主義と大きな価値観の
変動の中で、自我の目覚めはまあよいとしても、
いつしか自己中心の人生観に落ちて行ったのでは
ないだろうか?

 もはや、『滅私』などという語は死語とさえなった感が
ある昨今ではあります。講話を聞きながら、
日々の己の行動をあれこれと反省をしました。
寺を辞したのはもうかれこれ夕暮れに
さしかかろうかとする時間帯となっておりました。

 帰り際に、寺門のそばにさりげなくおいて
あった箱に『柿』が入れてあり、”ご自由にお持ち
帰り下さい”と記されてありました。

 門口まで送って来られた、ご住職様とご内室様が
どうぞお持ち帰りをと言うお勧めで、遠慮なく沢山
頂戴して、福岡在の弟の家を目指して帰途についた
次第です。

 墓参の話はここまでなのですが、講話の話は強い
印象となって私に残りました。

 私は『滅私』とは行きませんが、お陰で80歳まで生かして頂いた
のですから、そう長くもない生命の灯火が
灯っている間に、『最後の行』を心がけねば
ならないと思いました。

自分の最後の行とは何か?これを考えてみたい。

 昔から、悟りの道に至るには、難行苦行
様々な行を行ってはじめて悟りの境地に達すると
する説がありますが、意志薄弱、身体的にも虚弱な
私では難行苦行はとてもできそうにない。

(本号、墓参、妙念寺はここまで)
−−−−以下は次号−−−−
 これすべて初めての試みです。文面その他不都合があったら
どうぞご容赦謝下さい。


清水



妙念寺より
清水 毅 様

いろいろと 有難いことです。
ところで 浄土真宗のお話 少々 説明不足であったと
反省しています。

戦前のことを ご記憶の方には 「滅私」と 誤解されて
しまうのでしょうが、「報恩感謝」ということと 大分違が
あるようです。

戦争中は 日本という 民族のため 加えてアジアの
人々を守るために 戦いが行われたのでしょうが、
仏教は すべての人 すべての生き物のため。

喜ぶ人の裏側に 悲しむ人がいない 行動だろうと 思います。

滅私奉公も 下敷きは 阿弥陀如来の教えに近いのでしょうが
歪曲され 戦争遂行のため 都合よく 利用されたように
戦争を知らない世代からは 受け取れます。

滅私というより 報恩の行動 なかなか 説明できませんが
聴聞を 繰り返すと その違いが 大きいことが
味わえてくるものです。

行動は 同じに見えても 行動する人の こころに
大きな違いがあるのではないかと 思っております。

 ありがとうございました。

              妙念寺