昔、勤めていた大学の学生も、はや60歳近いおばさんだ。孫がいる人もいるのだが、そんなグループの一人にY.N.さんがいる。Y.N.さんには思春期の娘や息子いて、何かと人生について深く思うところがあるらしい。ワシのメイルの返事を披露する。
>以下の文章はY.N.さんからで、Ans: 以下の文章はワシの返事
Y.N. 様
> お聞きしたかったことはこの世に生きて幸せと感じる時はどんな時ですか?
Ans:正面切って言われたら、ワシは返事に困るが、そうやな・・・『なんでも無いことを黙ってやっているとき』かな・・・。ワシは平凡や靴下を毛糸で補修したり、机の引き出しを片づけたり、植木を生け変えたり、なんでも無いことを静かにしているときが好き。音楽を聴きながら、パソコンの入力をシコシコとしたり。こんな、なんでも無いことを黙ってやっているときが幸せを感ずるかな?
> 生まれてきて本当に良かったと思えますか?
Ans:40台、50台のころ、ワシが生まれてきたのは、偶然の所産か?必然の所産かテナことを、来る日も来る日も考えた。ちょうど大学に転職したころであろう。当時電車の行き帰りに何遍も何遍も読んだ本があって、当時、鉛筆で何遍も線が引いてある。 懐かしい本で未だに捨てる気がしない。『三浦綾子著、旧約聖書入門』
> 平凡な日々幸せと思えるのは何歳になってからですか?
Ans: 勤めをやめてからです。30歳以後の記憶では、ワシは人と10分でも15分でも無駄話をした記憶がなかった。(実際は無駄話もしたであろうか?)ただ、勉強、勉強をしたという記憶しかない。結局勉強は素質や素質がないものはナンボ努力してもたかが知れている。
67歳で勤めを辞めてから、人と無駄話をするようになって、無駄話は楽しいモノだと知った。ホンマか?ホンマや。
釣りやスキーも少しはやって遊んだが、まあ、大体は自分の専門、あるいは専門らしきことを勉強した。勉強は楽しかった。テニスも楽しんだが、それはあくまで勉強の合間にやったこと、勉強が忙しく楽しかった。
ワシが日本的大先生にならなかったのは、一に素質が無かったこと、二にそうした野心がコレポッチも無かったことであろう。
> 最初の問いに帰って、平凡な日々幸せと思えるのは何歳になってからですか?
Ans: 人間、欲がなくなれば幸せや。欲のない人間は居ないだろうが、だが、世俗的でない、欲の無い人間はなんとなく色つやがない。カサカサや。
物欲、名誉欲、色欲いろんな欲があってこそ輝いているのであろう。年相応で良いんだと思う。若い人が悟ったら大変や面白くない。80にもなって、欲望満載では化け物と言う感じ!どちらもワシの好みやない。
> 今週引っ越しします。近くにY.M子さんが箕面にいらっしゃいます。
Ans: Mさん近く?それは良い。話相手が出来て良いね。よろしくお伝え下さい。
> 主人から独立して二年経ちお互いを認め合える様になり良かったです。
Ans:独立?まあ、良いでしょう。お互いの長所は離れてみるとよく分かるモノです。それは良かった。向寒の折、風邪など召さぬように、お過ごし下さい。
禿翁
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