Iさんに”良い教育が行われるための条件:清水”を送信した。内容下記の通り。

第2信
 教育問題を考えるとき、どのような教育が計画されてもその教育が実施できる社会的環境が整っていなければならない。
 松下村塾は僅か3年の開学に過ぎないが、久坂玄瑞高杉晋作伊藤博文山県有朋前原一誠などの明治維新に活躍した人物を育てていることは驚くべき事でもある。
 だが、松下村塾の存続を当時の為政者(幕府)は認めなかった。つまり、国家(社会)の方針、政策に異を唱えるものの存在を国家(社会)が許すかどうか?重要な点となるが
戦前の我が国では、思想の自由は無かったことは周知の通りである。(治安維持法なる法律で縛られた。)
 良い教育(何が良いかは、一応措くとして)が行われるための条件の第一は、思想の自由である。思想の自由とは言うは易くその実現の実際は難しい。
 それは、思想の自由とは、最もイヤなヤツの言論や行動(他の生命に危害を与えるモノ以外の行動)を許しておく社会でなければならないからである。
 自分にとって不快な言葉の発言を許すということは実際は難しい。極めて困難。
 だが、そうした土壌(社会)こそ、住みよい社会であり、良い教育が行われ得る第一の条件である。いまの日本はまず第一の条件をクリアーしていると言える。
 今日も私達はイヤなヤツの発言や行動を許さなければならない。そのイヤなヤツが時には権力者だったりすることもあるだろう?
清水