先日、郷里の友に私の自作絵葉書に文言を書いて出したら礼状がEメイルで来た。ワシもメイルしたがその間の書翰

清水兄へ

兄は勉強家・研究家だね。小生 音楽以外には何も出来そうにない。せめて生かされている間なりとも、人様に喜んでもらったり、人様のためになることができれば幸いだと思っています。

 漢詩のことはよく分からないけど、そんなに難しい規則があるとは、ある音楽家に「どんな曲を作りたいですか」と尋ねたことがあるけど、「今までに誰も聞いた事ないような、作ったことないような曲を」こんなこといった人があります。現代音楽の始まりだったかも。天才は発想の転換が素晴らしいのかも。

 私は音楽の専門知識もなく、人真似ばかりをしています。ドレミファ・・・7つの音階を組み合わせても、何処か誰かの曲に似てくるものでしょう。日本音階など5つの音の組み合わせですから。演歌など聞いてると皆同じに聞こえてきますよね。

 どっち道、漢詩も規則を打ち破って現代漢詩みたいなものを・・・でもすべては古い規則があって新しいなにかが生まれるのでしょうね。

 私の教え子に毎日一句・・・日記風に短歌を詠んでる人が居ます。365日・・・「去く猿に 災い負わせ 来る鶏に 福の玉子を たんと生ません」鶏年の正月の作品で、CD大和作曲集2 に私の曲が載っています。CD兄にもやってると思うけど、
 今は写真をCDに編集してます。そのうち外国や国内の風景でも見て下さい。では、今日はこれにて失礼します。

(私からの返事メイル)
S.Y.大兄

 勉強家とか研究家が何を意味するか?難しいね・・・・・。
ワシは頭が悪いね。記憶力が貧弱。注意が散漫なところがあるね・・・・。無用の努力をしているね。俗に言うカラ回りですよ。自分ではツマラン男やと思っております。死ぬ間際になっても、なおかつそれを改めようともしないどうしようもない奴やね・・・。

 昨日のNHKTV番組に宮城まりこさんが出ておられました。『ねむの木学園』とか言う福祉施設を経営しておられるもと歌手です。(多分ご存じでありましょう。)

 あの人の話を聞いていたら、涙が出てきたよ。『なんて優しい心遣いだろう』と本当に思った。エライ人とはあんな人を言うのではないかと思う。自分が何かをする等という『自分』が全くないものネ・・・・。仏様みたいな人だと思う。

 男性なら、ガンジーみたいな人が本当にエライ人やと思いますネ・・・。

 宮城まりこさん、ガンジー、こんな人のことを考えたら、人種というか、人間としての根源的なところで、ワシなどとは違った人に思えてしようがない。

 幼児教育はどうあるべきかを考えるのは難しい。他の動物が『生存の術』だけ考えておけばよいところを、人は『人倫の道』を共に歩まねばならないからだ。そして『人倫の道』は、幼時の中からしっかり教え育てて行きたい事柄なのだ。

『生存の術』は経済と力が基盤にあるが、『人倫の道』は他を思い遣る優しさがが基盤であるから、経済とか力とは時として相容れない。だから、難しいのだが、人はその両方を学ばねばなりませんよね。

 最近の、はやり言葉に『自分らしく生きる』と言うのがありますね。私も時に使っている言葉ではありますが、この言葉のどこかに『自己主張』的、傲慢さがないか? 昨日の宮城まりこさんの話をきいていて、そんな風に思いましたよ。

 心に感ずることが『台風一過』ではいけない。その瞬間に強く感じただけでは空しい。なにか具体的、永続的な道を考えるべきでありましょう。

 そんなことを考えておりました。

清水