友への手紙

 親しき友、SY 兄へ

 お早うございます。今朝もこちらは雨が降っております。

 BS はご覧になっていない由、了解しました。私はあんまり外出も旅行もしませんので、TV は家中のものがよく見ます。それでTVはちょっと贅沢していますか?
(大画面、もっとも、いまは普通かな?・・・)

 いまの TV は同一画面が二つに縦に分割することが出来て、左にA画面、そして右にB画面、と二つを見ることが可能です。一般にスポーツはあんまり音がなくても分かりますから、右にスポーツ、左に音声の一般TV。

 孫をはじめ女房共は左画面、私は右画面(音なし)と言う具合でよくみております。呵々

 先日来、この雨の中で部屋の片づけをしております。長女親子を離れの方に移転させるようにしているのです。

 兄には笑われそうですが、そろそろ死の準備を考えているのです。そう言っても、あと数年の中には、身体的重大変化が起こる可能性が大ですから、おきてから部屋をあけろだの、おれの寝る部屋を用意せよなどというのは、それこそ大変だから、その時の部屋の確保をしたいと考えているのです。

 私の近所の知り合いが、昨年脳梗塞で倒れられました。時々、見舞いに行くのですが・・・・・。私は病院では出来ることなら死にたくはないなと思っております。

 家で、家族に見守られながら死ねたら良いがな・・・・と思っております。家族の労力的負担や経済が許すかどうか?今はそこは考えておりません。

 ですが、労力的負担、経済も、一口では言えないいろいろな事が重なりますから、死に至るまでの道のりは容易ではありませんね・・・。

 野生の動物では、死体を曝さない動物もあると聞きます。象などは静かに群れを離れて、山の奥深く?入って行くとか?そんなことが出来れば、一番エエのですが、人間はそうは行きません。

 だから、私は自分の死の有り様を時々、考えるともなしに考えるのです。多分、考えていたところで、考えたようになると言うよりは、思わぬ事態にはなりますでしょう?
 ですが、考えぬよりはマシかと思っているのです。

 まあ、今朝はこんなところで失礼します。       80翁