人間と音楽

 今朝(H17.11.27)4時からの心の時代は、五木寛之氏の話であった。彼は終戦時に平壌(ピヨンヤン)にいたらしい。そこでの生活の話が主体なのだが、その悲惨さは並大抵では無かったという月並みの表現では表現できない。人間が生きるというギリギリの話、本当に戦争をしてはならない。最も困るのは庶民なのだ。
 また、私に最も興味があったのは、字も知らぬ、時計も扱えないソ連の兵士が、休憩時に歌を歌って自分たちを慰めていたというのだが、そんな一般的知識に乏しい兵隊がいざ歌を歌うとたちどころに3部合唱ができるというのだ。
 これと同じような話を、アフリカの土人の歌が教育などということとは、全く無縁な人々の歌が3部合唱、4部合唱の形があっという間に出来上がっていたという話を思い出した。
日本人には、私が知る限りでは、一般大衆の歌、民謡などには斉唱はあっても合唱の形は非常に少ない?ということなのだが・・。
 また、五木氏は、そんな苦しみの極限のような生活の中で、歌は大きな癒しの泉であった。その歌は悲しい歌であった。悲しい歌で心が癒されたという話は、改めて『歌とは?』を私に問いかけてきたように思う。今朝は時間がないこの問題中断。(6時記録)