藩祖、鍋島直茂公

ssa_sayoko さんに以下のことをかいた。



# ja3sj 『藩祖鍋島直茂
 さよこさんの日記を読んでいると、『佐賀んモン』やなとつくずく思います。

 佐賀藩の藩祖直茂公が、冬の寒い晩に罪人に粥を振る舞ったという話に私は深く感激した話を以前にしたかと思います。

 殿様と言われるような方が、どうしてこんな優しい情け深い心を持ち得ただろうか?

 今でも、直茂公には深い関心があります。ところで先日さよこさんが教えて下さった、『葉隠れ』原著山本常朝、田代陣基、神子ただし訳の本をよんでいたら、直茂公は関ケ原の合戦で、最初徳川方から豊臣方へ寝返り?、家康の激怒を買ったと言うことをその書で初めて知りました。

 関ヶ原の戦いを様子見をしてから、東軍につくか、西軍につくか決めるのは戦国時代の将たるものの常識でもあったことでしょう。毛利もそうしている。

 だから、直茂公は徳川方との約束を反故?にし、寝返りもしたのでしょうが、意外や意外、徳川方が勝ってしまった。細かい経緯は、私は知らないけど、竜造寺家は、お家取りつぶしでもおかしくないところを、うまくくぐり抜けたのは、相応の綱渡りがあったのでありましょう。

 藩祖直茂公のこの知恵とネバリはどうも佐賀ンモンには受け継がれないで、『武士道とは死ぬことと見つけたり』ばかりが強調されて、(戦時中の軍部の利用とあいまって)いまの佐賀ンモンの気質を形成したのであろうか?

 私は、佐賀ンモンは藩祖、直茂公の日和見主義、時には約束反故も、そしてネバリ腰も見習ったら良いのではないかと思うのです。

 さよこさん、藩祖直茂公を見習うのです。短気を起こすのではありません。

 Hatena のこのコメント欄で、あまりこのことにふれるのは、私はどうかと思う。よければ私にメイルを下さい。
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葉隠れ爺さんから』